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ホームページ・リニューアルに寄せて、はじめだけ、こむずかしいことなど;

「介護保険法」なるものが施行されて以来、「要介護」の度合いが数値で表され、それを基準に「必要な」ケアプランが立てられるようになった。もちろん、継続的に保険を適用させ、もろもろの「福祉」を円滑に進めるシステムとして、一定の機能は果たしているかもしれない。確固とした制度がなければ、日常の生活が保障されないという現実もある。
 ただ、そこで生じてくるのは、やはり個々の人生の問題である。人は十人十色。性別も違えば、年齢も違う。性格も違う。趣味も違う。住んでいる町が違う。同じ病気でも、症状が違い、症状の出る時間が違い、あるいはそれが出る日があったり、出ない日があったりする。同じ名前の障がいを持つ場合でも、日々の生活をしていく上で、そのことがどれくらいの壁になっているかは、これまた人それぞれ。そんな多様性と個別性を、大きな制度やシステムでひとくくりにするのは、どうしても無理がある。
「要介護3」とか「要支援1」とか、あるいは「認知症」とか「肢体不自由」とか、介護や支援を必要とする度合いや、いわゆる「病名」だけが先走りして、個人の名前、年齢、性格、趣味は二の次になり、介護に駆け回る側は、ともするとその人自身を、その日のその人自身を見過ごしがちになる。今日はせっかく調子が良かったのに、時間に追われてその人の能力をあらためて引き出せなかったり、普段より調子が悪かったのにそれに気づかず、結局なにも対応できなかったり、相手が出している微妙なサインを見逃してしまう。その人がそれまで生きてきた人生を、それがいまも続いている事実を、忘れてしまう。そして「よかれ」と思ったことを、「あなたのため」だと押しつけてしまう。
 そしてそれはまた、介護を受ける側にも言えることだ。この人は「ケアマネージャー」、この人は「ヘルパー」、この人は「施設の人」と、名前ではなく肩書きに慣れ、自分のためのケアプランであるにもかかわらず、なにも考えずに受け入れ、合わせてしまうふしがある。それが日常になれば、やってもらうのが当たり前、という思考にもなる。あれこれ疑問に思っても、自分の専門ではないからと、あきらめてしまう場合もあるかもしれない。
 でも、僕等はこう思うのだ。生きることに、専門もなにもない。あるとすれば、その人の「私らしさ」こそ、その人にしか実現できない専門なのだと。たしかに自分で判断することがむずかしくなれば、周囲の助言(公的なものや、家族のそれ)を参考にし、程度の差こそあれ、それに従わざるを得ない状況になるだろう。しかしだからこそ、僕等は立ち止まって、考える。その人の人生が真の意味で豊かになるには、いったいどんな方法があるのかを。いろいろな壁がありつつも、それらをひっくるめて楽しむには、どんなことができるのかを。
 理想的なのは、具体的なアイデアや策を、当事者の方々といっしょに模索することだ。対話を通じてその人を知り、なにが大切かを見極めた上で、提案する。だって、きっと誰もが、「私らしさ」をあきらめずに生きていきたいと思っているに違いないのだ。杓子定規のシステムではすくい取れない、その人それぞれのあり方、ペースやリズム、その人がほんとうにいたい町や場所、あらゆる要素をくみ取って。
既成の「ケアプラン」に合わせる形でただ生きるのではなく、人肌や温度の感じられる独自の「ライフプラン」を踏まえた、「私らしい」時の過ごし方。
 そんなあれこれを、僕等なりに提案し、実現することによって、僕等もまた、人生の先輩(あるいは後輩)たちに、貴重な教えを請いたいと思っている。これからの「福祉」を見据え、これまでの「福祉」の窮屈な枠組みを取っ払い(同時に有効なものは活用し)、柔軟で実りある関係や絆を築くために。 対話とふれあいを通じ、お互いの人生を、より豊かに楽しくしていくために。
 それが、僕等がいま、考え、実践していることだ。
 ここ、下北沢を発信地として。
                    株式会社ライフデザイン スタッフ一同

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2012.04.03 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 会社のこと

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